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111件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-06-06 第196回国会 参議院 本会議 第26号

文化芸術行政歴史をひもとけば、出版著作権行政所管官庁内務省警保局という検閲機関でしたが、戦後、旧文部省内で社会教育局文化課としてその歩みが新たに始まり、一九六八年に創設される文化庁に引き継がれました。検閲という表現の自由を制限する機関から、文化の創造や育成を主な役割として担う文化庁へと変化してきた歴史を踏まえてお答えください。  

神本美恵子

2002-11-14 第155回国会 参議院 内閣委員会 第4号

この八百二冊と申しますのは、内務省警保局などの作成に係る資料等でございまして、その八百二冊のうち特高月報八十七冊が含まれておりました。特高月報につきましては、昭和五年三月から昭和十年十二月までのものでありまして、一部重複もあるようでありますので、冊数としては八十七冊になっておりますが、これを発見をしたということでございます。

吉村博人

2000-05-09 第147回国会 参議院 文教・科学委員会 第15号

内務省警保局は、全国警察取り締まり報告を集約して内閣に報告をしました。今も残る公文書に明らかです。資料四。  政党と議会は、軍人の関与が見られた相次ぐテロ事件や、時にはそのうわさにまで脅かされて、自由な政治活動を展開できなくなります。真っ向から戦争反対を掲げた日本共産党やその他の反戦運動は、治安維持法出版法新聞紙法等によって弾圧されました。

岩井忠熊

2000-04-20 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

これは、五月の九日に内務省警保局が作成した資料であります。少し読ませていただきます。  食糧は正に危機寸前である。東京は既に欠配七日、神奈川も略々同様、山梨、青森は勿論北海道は既に数十日の欠配である。各地に暴動の前兆とも云ふべき事態が現れて居る。   一日の猶予は一日の危殆を増すのみである。官僚の当面の仕事には限度がある。

天川晃

1993-03-23 第126回国会 参議院 予算委員会 第7号

特にこの当時の内務省警保局特高警察とか朝鮮総督府、朝鮮憲兵隊などの関係は大体やはり警察庁で調べなければならないんじゃないだろうか。そういう意味で、国家公安委員長警察庁長官がもっと連携をとって本当に誠実な姿勢を示していただくことを私はここでお願いしたいんですが、どうぞ国家公安委員長、ひとつお答えいただきたいと思います。(発言する者あり)

清水澄子

1991-11-27 第122回国会 衆議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第8号

内務省警保局保安課ということで、極秘と赤い字で書かれているわけでありますが、特高月報複製版というのがあるわけでありますけれども、この中に具体的に、朝鮮人がどういう動きをしているとか、あるいはどういう仕事をさしたとか、あるいはさらには従軍慰安婦の問題についても具体的に数字で出てきているわけでありますが、そういうことで、この有効性をめぐって参議院予算委員会ではいろいろ議論がされまして、最終的に国家公安委員長

緒方克陽

1991-10-02 第121回国会 衆議院 厚生委員会 第10号

五島委員 旧内務省警保局「特高月報」によりますと、一九四四年現在、日本においでになりました朝鮮人の方々の数が百九十三万六千八百四十三名、これに一九四五年になって三十三万人ふえるというふうに報告されています。また、そのうち強制連行された総数が百五十一万八千八百六名、これは「特高月報」でございますが、というふうに書かれているわけでございます。

五島正規

1991-04-01 第120回国会 参議院 予算委員会 第13号

したがいまして、それがどのような事情でつくられたのかということもつまびらかにできませんので、恐らく内務省警保局時代に作成されたものと推認することはできますが、現在の警察庁の立場でこれがそのもの自身であるというふうにお答えするのはいささか責任ある答弁にはならないのではないか、かように考えております。

井上幸彦

1991-04-01 第120回国会 参議院 予算委員会 第13号

政府委員井上幸彦君) ただいまもお答えいたしましたとおり、恐らく内務省警保局時代につくられたものであろうというふうに推認はできますけれども、私ども、原本というものも知りませんし、またその複製版がつくられたもとのものがどういうものであるかということも確認をできない状況でありますので、御理解を賜りたいと思います。

井上幸彦

1990-06-06 第118回国会 参議院 予算委員会 第19号

戦前内務省警保局が作成した極秘資料特高月報」というふうなものから導き出して、兵庫県でも、一九三九年から一九四三年までに一万六百八人が兵庫県に強制連行された、逃亡者は三千七百十七人であったとかいうようなことが出ているわけです。また、「兵庫県知事引継演述書」というようなものがありまして、その中で一九四五年八月十五日から一九四七年三月まで朝鮮人強制連行者がどう帰国したかということが書いてある。

本岡昭次

1990-06-06 第118回国会 参議院 予算委員会 第19号

政府委員浅野信二郎君) 先ほどもお答えしておりますとおり、戦前特高月報等内務省警保局というふうに先ほどお話がございましたが、そういうものであるとは思いますけれども、それをそのまま今の私どもが引き継いでいるわけではございませんので、いろいろな形の資料としては私どもどこかで目にするということはできますけれども、直ちにこの場で私どもの保有している資料ということでお示しできるかどうかという点については

浅野信二郎

1985-12-05 第103回国会 参議院 地方行政委員会 第2号

私は警保局事務官でございましたが、自分の地域の警察には自粛いたしましてなるべく近づかないようにしておった。これは私の個人的な考え方でございます。そういうことから言いますと、今のお話のように、法律的には自由でございますが、ただ政治的にどう思うか、これは好ましいことであるとは言えないというふうに私は考えております。

古屋亨

1985-06-13 第102回国会 参議院 内閣委員会 第16号

そして戦前内務省というのは、御案内のように内務大臣がおって、その下に土木ですね、今で言う建設省、それから今で言う自治省の地方行政、それから国家公安委員会警察庁前身である警保局あるいは計画局とか、ともかく大変な強大な権限で、しかも都道府県知事が官選で、この任命権を一手に握っておったという強大な役所でございます。しかし今日総務庁なんというのはそれから見れば、これはもう九牛の一毛。  

後藤田正晴

1982-04-01 第96回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

内務省通達ですけれども各省協議をしておりまして、もちろん厚生省も一枚かんでおる、一枚どころが非常に重要な部分にかんでおりまして、内務省警保局あるいは管理局厚生省健民局勤労局といったところが一緒になりまして、そういった強制移住をさせられた朝鮮人徴用工皆さん方朝鮮に送り返そうじゃないかという通達を出した。その通達には二つの意味があります。一つは、送り先は釜山であるということ。

森井忠良

1979-05-22 第87回国会 参議院 地方行政委員会 第8号

このくだりを、当時の警察制度審議会警保局から出した審議資料の中でもこのように言っているでしょう。「警察事務を再検討し、警察事務中本来の職務に関係の薄い事務を整理して他に委譲し、警察は本来の任務たる犯罪の防圧、個人の生命財産保護治安維持に専念させることとし、」これによって「従来の警察概念を整理し新しい警察概念をうちたてる。」、こうなっています。  

志苫裕

1978-10-17 第85回国会 参議院 逓信委員会 第2号

これはまあ詳しく調べたわけではないんですけれども、若干歴史的経過を調べてみますと、昭和十二年の七月にはすでにいわゆる内務省警保局からの時局に関する記事取り扱いに関する件ということが出て、一般治安に関する報道差しとめ事項、それから反戦反軍印象を与えるもの、好戦的侵略主義的印象を与えるもの、わが国に対する外国批判等を規制をしているわけです。それから、昭和十四年の七月には時局放送企画協議会の発足。

沓脱タケ子

1976-10-27 第78回国会 衆議院 法務委員会 第4号

これは当時の内務省警保局保安課が正式につくって、これは全国特高警察に配付したものであります。それを国会図書館が残っておるものから復刻したものでありますから間違いがないというように思いますが、それを見ますと、建物破却の状況が非常にはっきりと出ております。ここには写真があります。写真では非常に壮大な建物が全部破却されておるということであります。

正森成二

1976-10-27 第78回国会 衆議院 法務委員会 第4号

それを受けまして、内務省警保局古賀強は、「あらゆる宗教というものを再検討しなきゃならないじゃないかという気持ちになった。それで当時の保安課長、局長まで進言して宗教係が出来、初代の主任が私になったわけです。大本事件宗教係ができたのです。我々が信奉している日本の国体の本義は神社神道に端を発している。

正森成二

1976-10-27 第78回国会 衆議院 法務委員会 第4号

あなた方の前身と言うたら語弊がありますけれども警保局ですね、そこが当時つくりました「特高月報」とか「特高外事月報」に載っておるわけですね。たとえば「特高外事月報」の昭和十一年の四月分と五月分には、破却状況写真まで入れて報道されております。これは報道じゃなしに、当時の警保局保安課がつくって各県特高に送ったものですね。全然知らないですか。

正森成二

1976-10-05 第78回国会 参議院 予算委員会 第2号

それから、スパイを消せというコミンテルン指令塚本議員は挙げましたけれども、これも結局警察の総元締めの内務省警保局資料、これを使ったもので、事実とも違う信頼できないものであるということが明らかになっているものなのであります。  以上、この問題の戦前の問題についてわれわれの見解を私は述べました。戦後の復権問題に進みたいと思います。  

上田耕一郎

1976-01-30 第77回国会 衆議院 予算委員会 第3号

今日当時特高警察が内部で出していた資料が、あるいは「特高月報」とか内務省警保局の「社会運動状況」とかいう形でわれわれ見ることができますが、これを見ると、その点で非常に興味があることがある。なぜ共産主義運動を抑えるのか、なぜ共産主義者を抑えるのか、そのことについて一番書かれている主要な理由は、戦争に反対していることであります。

不破哲三